2009年10月13日火曜日

サマーウォーズの功績:「創作の工業化」のマイルストーン

(僕の中での)違和感の解消につながったキーワードの一つ目が「創作の工業化」である。サマーウォーズという作品は,創作行為が職人の手によるものから工業的に生産するものへと移り変わって行った一つのマイルストーンだといえる。
もちろん,工業化の流れは緩やかに行われて来たのだろうし,僕の知らない作品がよりセンセーショナルな証拠として存在するのかもしれない。だが,一つのマイルストーンとしての意味は非常に大きいと思う。




4バージョンを読み終わって(コミック版はまだ連載中)とても不思議に思ったことがある。全4バージョンが,「全く同じキャラ達」が,「全く同じ事件」を体験したことを,それぞれ別の視点から眺めたように感じられたのだ。当たり前のことのように思えるかもしれないが,こんなことはある意味で異常な事態だ。4バージョンもバリエーションを増やして,一つも「原作ブレイカー」が無いのである。

また,
サマーウォーズの掘り下げない姿勢 - WebLab.ota:「掘り下げているところがあるとすれば,「徹底して掘り下げないこと」である.
この表現がすとんと入ってきた。確かにそうだ。だが,その次に「なぜ掘り下げないのか」が疑問になった。

これら2つの疑問に対する(僕の中での)答えが「創作の工業化」である。
かつて靴が,パンが,プログラムが,職人の手作りから工業的に生産可能になったように,創作作品も工業的に生産できるようになった結果が,このサマーウォーズという作品なのだと思う。

以下,4バージョン全てのネタバレを含めて語って行くので気になる方は自己防衛をよろしくお願いします。

きっかけは多分2chのこんなやり取りを見たことだ。「(批判)○○の展開が意味不明」「(擁護)小説版ではこう書いてあるんだよ!」「(批判)それは映画版が描写不足だってことだろ」

あれ,その流れはおかしくないか? こういうときは「小説厨乙www」とかいって原作厨 vs アニメ厨みたいな流れになるんじゃないのか? なぜ批判側までもが小説設定を受け入れているんだ?

もちろん,全ての作品が原作とアニメで別物になるというわけではない。原作組も大満足,ご新規さんにも大好評の作品だってある。

しかし,それでも4バージョンというのは多すぎる。しかも,それらがほぼ同時期に製造されているのだ。それも単なるハードコピーではない。それぞれに異なる味付けがされているのだ。

例えば,それぞれの最初の場面からして全部違う。映画版ではOZの紹介から部室でのOZのバイト・夏希の誘いから始まる。全体としては映画版に沿った流れとなるつばさ文庫版でも,最初は健二のモノローグでオランダ(数学オリンピック会場・この情報はつばさ文庫版だけで登場?)への未練から部室でのOZのバイト,OZの紹介を混ぜつつ夏希の誘いへと繋がる。文庫版は夏希視点から始まる。栄からのメールに「例の人を連れてく」と返信するところから始まる(栄がOZを利用した恐らく唯一のシーン)。そしてコミック版は剣道部での夏希に健二が惹かれるところから始まる。

その後にもあれこれ違いがある。コミック版では健二がじゃんけんで佐久間に負けている。文庫版では55人の正解者はいない(ということは健二は正答したのか?)。つばさ文庫版のラストにも微妙な違い(映画版で見落としたかも?)として侘助がラブマシーンの解体に成功したという地の文がある。

これだけ違いがあるにも関わらず,同じ作品として認識できること。これは誰でも(まだ職人レベルのスキルを要求されるが)同じ製品を生産できるようになる工業化を果たした証拠なのではないだろうか。

工業的に生産されたものと職人の手作りされたもの,どちらが良い・悪い,ということを言いたいのではない。ただ,「作り方が違う」のだ。他の製品と同じく,完成品を見比べたところで製法にどのような変革があったのかは分からない。だが,何かしらの変革があったからこそ,4バージョンを同時期に生産することができたのだと思う。

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